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副島 博志(そえじま ひろし、1959年(昭和34年)7月26日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。佐賀県佐賀郡川副町(現:佐賀市)出身。 == 来歴 == 佐賀県立佐賀商業高等学校を卒業後、ヤンマーディーゼルサッカー部(現在のセレッソ大阪)に入部。現役時代のポジションは守備的ミッドフィールダー、ディフェンダー。1991年(平成3年)に住友金属工業蹴球団(現在の鹿島アントラーズ)に移籍し、翌年引退。そのままアントラーズでサテライトコーチやフィジカルコーチを務める。 その後、ガンバ大阪やセレッソ大阪のサテライトでコーチや監督を務めた後、1999年(平成11年)に初めてトップチームのコーチに就任。天皇杯前に監督のレネ・デザイェレが突然辞任したときは監督代行を務めた。2000年(平成12年)にそのまま監督に就任。 C大阪では2000年1stステージで最終戦に勝てば優勝という所まで行ったが優勝を逃してしまう。2ndステージは中位の成績だったが、2001年(平成13年)は残留争いに巻き込まれ、8月に解任された(その年C大阪は結局J2降格)。 2002年(平成14年)は故郷に戻り、J2所属のサガン鳥栖の監督を務める。2002年の前後数年はサガンが経営危機に揺れた時期で、その時期の中では比較的良い成績(9位)を収めたが、続投要請を断って辞任。2003年(平成15年)はヴィッセル神戸で再びJ1チームの監督を務めたが、これも1年で辞任した。 2004年(平成16年)からは桃山学院大学のサッカー部監督を務めていたが、2005年9月にU-18監督兼ユース総監督という肩書でセレッソに復帰した。 2009年(平成21年)は、ヤンマー時代のチームメイトであった楚輪博監督率いるJ2のカターレ富山のヘッドコーチに就任。 2010年(平成22年)より、J2のザスパ草津の監督に就任。2012年シーズン終了後に草津の監督を退任し、ジェフユナイテッド市原・千葉のU-18チームの監督に就任した。 2015年(平成27年)にはタイ2部(Division-1)のアユタヤFC監督に就任し、初の海外チームでの指揮を執ったが、開幕9試合を1勝2分け6敗(得点12、失点25)の勝ち点5でリーグ最下位に沈み、4月27日に解任された〔アユタヤーFC (Division-1)、副島博志監督の解任を発表 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「副島博志」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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