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割ヶ嶽城[わりがたけじょう]
割ヶ嶽城(わりがたけじょう)は、長野県上水内郡信濃町大字富濃の「城山」に築かれた中世から戦国時代の日本の城(山城)。 == 概要 == 野尻湖に近く、飯山(飯山市)、柏原(信濃町)、牟礼(上水内郡飯綱町)、三水(同)などに通じる要衝の地である。築城者や築城年代など、その詳細は不明である。上杉謙信方に属する城であったが、謙信が関東で北条氏康と戦っている最中の1561年(永禄4年)4月、甲斐国の武田信玄によって攻め落とされたという史料がある。 その際に、信玄の重臣である原虎胤が負傷したとされる。これによって虎胤は、直後に勃発する川中島の戦いに参戦できず、信玄はそれに代わって山本勘助を参謀に起用したと伝わっている(『甲陽軍鑑』)。城址は、現在でも遺構が残り、いくつかの曲輪や空堀などが見られる。しかし、高度な縄張りではなく、戦国時代(上杉氏・武田氏の攻防)以降は廃城になったものと考えられる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「割ヶ嶽城」の詳細全文を読む
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