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劉ヨク : ウィキペディア日本語版
劉ヨク[りゅう よく]

劉 廙(りゅう よく、180年 - 221年)は、後漢末期から三国時代の政治家。字は恭嗣。南陽郡安衆県の人。長沙定王劉発の庶子の安衆康侯劉丹の子孫〔『晋書』巻六十一列伝第三十一劉喬伝〕。兄に劉望之。弟に劉偉。甥(弟の子)に劉阜。族孫に劉喬。『三国志志に伝がある。
==生涯==
10歳のとき、学堂で遊んでいたところを司馬徽に可愛がられた。兄の劉望之は声望が高く、遠縁の荊州劉表に招かれ従事を務めていたが、正論を吐いたため迫害を受けた。身の危険を感じる劉望之に対し、劉廙は今すぐ逃亡することを勧めた。劉望之はこの言葉に従わなかったため殺害され、劉廙は揚州に逃亡し、後に曹操に身を寄せた。
曹操は劉廙を丞相府の属官とし、後に五官将(曹丕)の文学に転任させた。曹丕は劉廙を信任し、草書で手紙をしたためて良いとまで言った。劉廙は恐縮しつつもこれを受け入れた。
曹操が漢中に遠征しようとすると、劉廙は上奏し、文王のような徳を積むべきだと述べた。曹操は劉廙の意見に同意できない旨の返答をした。
その後、劉廙の弟が魏諷の反乱に加担したため、劉廙も連座するところであったが、曹操に許しを得て、丞相倉曹属への配置替えに留まった。この計らいに劉廙は上奏して曹操に礼を述べている。
曹丕が即位すると、侍中となり、関内侯に封じられた。221年黄初2年)に死去した。
著述が数十篇残され、丁儀と刑罰・儀礼について議論した書物もあったという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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