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劉休範[りゅうきゅうはん] 劉休範(りゅうきゅうはん、448年 - 474年)は、中国宋の皇族。 == 生涯 == 第3代皇帝文帝(劉義隆)の十三男。第6代皇帝明帝の弟。 最初に順陽王に封じられ、後に桂陽王に改封された。459年、江州刺史となった。明帝が劉子勛の乱を平定すると、南徐州刺史とされたが再び江州刺史とされた。 明帝により兄弟が殺されていたが、凡庸だった休範だけは粛清を免れた。472年に明帝が崩御すると、遺詔により司空となる。明帝の息子とされる蒼梧王劉昱が即位したが、この劉昱も叔父ら諸王十数人を殺したために叛逆を企て、473年に尋陽で挙兵して首都建康に迫ったが〔駒田『新十八史略4』、P176〕、474年に右衛将軍の蕭道成に敗れて殺された〔駒田『新十八史略4』、P177〕〔川本『中国の歴史、中華の崩壊と拡大、魏晋南北朝』、P150〕。享年27。 この反乱平定により、蕭道成は国務に参画するようになり、後に斉建国の礎のひとつとなった〔。
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