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劉余 : ウィキペディア日本語版
劉余[りゅう よ]
劉 余(りゅう よ、? - 前128年)は、前漢景帝の息子。武帝の異母兄に当たる。劉餘とも表記される。
== 略歴 ==
母は程姫。景帝前2年(紀元前155年)に淮陽王に立てられ、翌年、呉楚七国の乱が起こり呉王らが敗れた後、魯王に移封された。
劉余は宮殿造営や狩猟などを好み、晩年は音楽を好むようになった。また吃音で会話が苦手だった。
景帝の時代、魯王のとなった田叔が魯へ赴任すると、財物を召し上げられたと領民100人以上が訴え出た。田叔が領民を逆に叱責したことを知ると、それを恥じた劉余は私費で領民たちに賠償した。
また、宮殿造営のために孔子の旧宅を破壊しようとしたところ、鐘や琴の音が聞こえてきたので、破壊するのをやめた。その後、旧宅の壁の中から古文(古代文字)の経書が発見された。『漢書劉歆伝によれば『礼』の逸文39篇や『書経』16篇があり、孔安国によって後に皇帝に献上された。
元朔元年(紀元前128年)に死去し、共王〔『史記』五宗世家〕あるいは恭王〔『漢書』王子侯表、『後漢書』劉表伝〕とされた。子の安王劉光が後を継ぎ、魯王はその後一時期断絶したが王莽の時代まで存続した。
後漢の後期・末期に登場する劉洪および劉焉(諸説あり)と劉表はその子孫である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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