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順帝 (漢)[じゅんてい]

順帝(じゅんてい)は、後漢の第8代皇帝
== 概要 ==
安帝の末年から権勢を振るっていた外戚の閻氏や側近の宦官の讒言により一時廃嫡されたが、それを憎んだ宦官の孫程のクーデターにより閻氏らが打倒されたため、皇帝となった。
擁立の功労者である孫程ら宦官たちを侯(地方領主)に封じ、さらに宦官の養子を認め、財産を継承することを許可した。それまで一代限りの権勢であった宦官が、桓帝の時大長秋となる曹騰が引退した以後は、次代の権勢継承が行われるようになった。そのため、後世には後漢の宦官禍は順帝より始まると評されることになる。また、曹騰の養子の子が曹操であり、これは制度面とは別の方向からも後世に影響をもたらすことになった。
一方、皇后に梁氏を立て、その父である梁商大将軍として朝政に参加させた。梁商は専横を振るうこともなく、宦官と融和を図り朝政を運営した。しかし梁商が死去し、その子梁冀への大将軍の世襲を許してしまい、梁冀は朝政専断を開始し権勢を振るった。順帝は賢臣を起用し、梁冀の専断を抑制しようとしたが、果たせないまま死去した。順帝の死後、梁皇后が「夙夜勤労」と形容されるほど必死に王朝再興のため奔走し、清流派官僚の李固などの人材登用を行ったが、梁冀はそれらの人材を次々と粛清している。順帝の梁冀に対する措置が不十分な結果、その後桓帝までの時代に梁冀が専横を振るう原因を創出している。
外交面では、班超の子である班勇を登用するなどして、西域の17ヶ国を服属させた。しかし高句麗などからの攻撃を受け、対外的な安定は確立せず、国内においても災害や飢饉が絶えず、各地で反乱が頻発した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Emperor Shun of Han 」があります。



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