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劉夢庚[りゅう むこう]
劉 夢庚(りゅう むこう)は中華民国・満州国の政治家・軍医。北京政府・直隷派に属し、後に満州国に参加した。字は炳秋。 == 事跡 == 陸軍軍医学校を卒業。以後、直隷督軍署軍医課課長、保定陸軍病院院長、直魯豫三省巡閲使署軍医総監などを歴任した。1919年(民国8年)、天津造幣廠廠長に就任する。〔徐主編(2007)、2508頁。〕〔天津市河北区政務網〕 1922年(民国11年)5月、京兆尹に就任し、1924年(民国13年)11月までこの地位にあった。北京政府においてはこの他にも、井陘鉱務局総弁、京畿司令部副司令、密雲副都統、陸軍第26師駐京弁事処処長、直隷督軍署参議などを歴任している。また、輯威将軍と陸軍上将の位も授与された。〔〔 1934年(康徳元年)11月、満州国の熱河省省長に任ぜられる。1937年(康徳4年)7月1日付で退官した。〔劉ほか編(1995)、1195頁。〕〔「満州国退官者」『東京朝日新聞』1937年7月1日夕刊。〕以後、劉夢庚の行方は不詳である。
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