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劉 晟(りゅう せい)は十国南漢の第3代皇帝。廟号は中宗。 == 生涯 == 初代皇帝・高祖の四男として生まれる。大有15年(942年)に父が崩御すると、兄の殤帝(劉玢)が皇位を継いだが、兄が暗愚で政務を顧みなかったため、光天2年(943年)に殤帝を殺して皇位を奪った。 即位後は弟や功臣、またその一族を大量に殺すことで皇位の安定を図るなど、その性格は残虐であった。さらに殺した弟の妻を後宮に入れて後宮狂いとなり、政務を宦官に任せて顧みなかった。また、勢力拡大にも失敗しているなど、結果的に南漢の衰退を促進させた。 乾和16年(958年)に崩御、享年39。後を長男の劉継興が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「劉晟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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