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劉知謙[りゅう ちけん] 劉 知謙(りゅう ちけん、生年不詳 - 乾寧元年(894年)11月)は、十国・南漢の創始者である劉隠・劉龑兄弟の父。字は徳光。劉謙とも。唐の封州刺史であった。 == 生涯 == 『新五代史』、『十国春秋』などによると、父の劉仁安は河南上蔡出身の南海商人で、福建に移住し、泉州で生涯を終えたという。また『旧五代史』、『冊府元亀』、『南漢書』などによれば潮州の刺史で、のちに番禺(広州)に移住したという。 青年時代の劉知謙は広州の牙将であったが、嶺南東道節度使の韋宙に見出され、その姪(武皇后韋氏)を娶る。やがて黄巣の乱によって嶺南の治安が乱れると、たびたび群盗を討伐して功績を挙げた。それにより中和3年(883年)に封州刺史・賀江鎮遏使に任じられ、梧州・桂州以西を管轄した。劉知謙は兵士と財を蓄え、数年後には精兵1万人と戦艦100余艘を得たとされる。 乾寧元年(894年)11月に死去。『南漢書』によれば、劉知謙は病床に息子たちを集め、「いま、五嶺(広東・広西)ではいたるところで盗賊が決起している。我には精鋭の兵士と武器がある。汝らは努めて功を建てよ。時機を逃してはならぬ!」と言い残したという。南漢建国後に聖武皇帝と追尊された。廟号は代祖。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「劉知謙」の詳細全文を読む
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