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劉 福通(りゅう ふくつう、1321年 - 1363年)は、元末に紅巾の乱を指導した人物。潁州(現在の安徽省界首市)出身。 1351年(至正11年)5月、劉福通は韓山童と共に白蓮教教徒と黄河掘削工事に徴用されていた民衆を率い、潁州にて元朝に対する反乱を起こした(紅巾の乱)。反乱軍は安徽・河南とくを攻撃、元末で最大規模の農民反乱に発展した。1355年(至正15年)、韓山童の子である韓林児を皇帝とし宋朝を開き、自らは小明王となり亳州に都城を定めた。1363年(至正23年)3月、平江路(現在の江蘇省蘇州)で政権を樹立した張士誠は呂珍を派遣して紅巾軍を攻撃、劉福通はこの戦闘で戦死している。 その後朱元璋による救援軍により呂珍は敗北、韓林児は朱元璋に保護されるが、1366年(至正26年)に殺害されている。 ==関連項目== *紅巾の乱 *白蓮教 *韓山童 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「劉福通」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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