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劉粲 : ウィキペディア日本語版
劉粲[りゅう さん]

劉 粲(りゅう さん)は、五胡十六国時代の漢(後の前趙)の第4代皇帝。昭武帝劉聡の次男、子は劉元公〔『資治通鑑』第90巻・晋紀12より。〕。少主とも。祖父の代からの元勲を誅殺したため、劉粲の代に漢の国力は衰え始めた。
==生涯==
河瑞2年(310年)、父が伯父の劉和を殺害して帝位を簒奪すると、河内王に封ぜられた。さらに、撫軍大将軍・都督中外諸軍事を歴任した。
312年に、異母兄の劉易族父劉曜ともに父の命を受けて、鮮卑拓跋部の大人拓跋猗盧と結んだ西晋劉琨を討伐して、その本拠地の晋陽を攻撃した。彼らは劉琨の父母を殺しその城を占拠した。さらに西晋長安を攻略する戦功を挙げた。その功で、丞相大将軍録尚書事に昇格し、晋王に栄封された。やがて相国尚書令に大昇格した。
やがて劉粲は皇太子の座を狙うために、継母の靳皇后の養子となり、その父の靳準と父の寵臣である宦官王沈らと共謀して、季父(末の叔父)である皇太弟の劉乂を謀反の誣告によって罪を着せた。さらに北海王に降格された劉乂を殺害して、太子・大単于の地位を手に入れた。
劉聡の寵愛を受けた王沈を列侯に封じたい意向があると知ると、異母兄の劉易と祖父の光文帝劉淵の代からの重臣である御史大夫陳元達はこれに反対して諌言した。しかし、劉粲が参内すると「王沈は清廉な人物である」と褒めて、父帝の機嫌を取った。
麟嘉3年(318年)6月に父が崩御すると即位した。だが隠帝は亡父同様に酒色に溺れてしまい、全ての政務を靳準に委ねた。即位からわずか1ヶ月で靳準の謀反によって、太子の劉元公とともに殺害された。
靳準は自ら漢天王に即位し、昭武帝と光文帝の棺を暴いて、これをズタズタに切り刻んでしまい焼き払ったという。また靳準は隠帝の妻子を皆殺しにして、好き放題を行ったが、劉曜と石勒の討伐を受けて一族もろとも惨殺された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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