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劉義欣 : ウィキペディア日本語版
劉義欣[りゅう ぎきん]
劉義欣(りゅう ぎきん、404年 - 439年)は、南朝宋皇族。長沙成王。劉裕の甥にあたる。
== 経歴 ==
劉道憐の子として生まれた。東晋の末年、中領軍となり、征虜将軍の位を受けた。420年永初元年)6月、劉裕が帝位につくと、義欣は青州刺史魏郡太守に任じられ、石頭に駐屯した。424年元嘉元年)、後将軍の号を受け、散騎常侍の位を加えられた。426年(元嘉3年)5月、南兗州刺史に任じられた。430年(元嘉7年)、到彦之が大軍を率いて黄河流域に入ると、義欣は彭城に進軍してその後詰めとなった。到彦之が敗北すると、青州や斉州では騒擾が起こり、義欣の側近たちは北魏の大規模な侵攻を危惧して、義欣に建康への帰還を勧めたが、義欣は動こうとしなかった。12月、使持節・監豫司雍并四州諸軍事・豫州刺史となり、寿陽に駐屯した。当時淮西・江北の農地は荒廃していたが、義欣は治水と灌漑を整備して良田の復旧に尽力した。433年(元嘉10年)、鎮軍将軍の号を受けた。監から都督に進んだ。434年(元嘉11年)夏、入朝した。439年(元嘉16年)閏月、死去した。享年は36。散騎常侍・征西将軍・開府儀同三司の位を追贈された。は成王といった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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