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劉 蕃(りゅう はん、)は、清末・中華民国の政治家・司法官。字は季衍。 == 事績 == 日本に留学して法政大学専門部法律科で学ぶ。帰国後は民政部七品小京官に任ぜられた。中華民国成立後の1912年(民国元年)9月、総検察庁総検察長羅文幹の辞任を受け、1915年(民国4年)11月まで劉蕃が同職を署理した〔郭主編(1990)、95頁。〕。1916年(民国5年)10月、交通部航政司司長に任ぜられ、翌1917年(民国6年)7月まで務めている。その後、司法部首席秘書、安徽省広徳県知事、同省繁昌県知事、直隷省大興県県長を歴任した。この後学問の世界に入り、北京大学法律系主任、同大学法学院講師を歴任している。以後、その行方は不詳である〔徐主編(2007)、2430頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「劉蕃」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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