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加地 春綱(かじ はるつな、生没年不詳)は戦国時代の越後国の武将。上杉氏の家臣。加地秀経の子。加地秀綱の父。妻は長尾為景の娘。安芸守。 ==略歴== 加地氏は揚北衆佐々木党で代々越後国加地荘を支配していた。 上条の乱が勃発するとこれに呼応し本庄房長・鮎川清長・水原政家・黒川清実・中条藤資・五十公野景家・新発田綱貞・竹俣昌綱らと共に上条定憲に従い守護代長尾為景に背いた。窮した為景は春綱に娘を嫁がせることで講和し、為景死後は上杉謙信に仕え重く用いられた。1564年には飯山城を任されている。 七手組大将の一人として、柿崎景家、新発田長敦、竹俣清綱、本庄繁長、色部勝長、中条藤資らと並び称された武将であった。 category:新潟県の歴史 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「加地春綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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