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加納久徴 : ウィキペディア日本語版
加納久徴[かのう ひさあきら]

加納 久徴(かのう ひさあきら)は、上総一宮藩の第2代藩主。一宮藩加納家6代。
== 経歴 ==
文化10年(1813年)、伊勢八田藩(東阿倉川藩)の第4代藩主・加納久慎の世子である加納久儔(後の上総一宮藩の初代藩主)の長男として生まれる。天保元年11月1日、将軍徳川家斉に拝謁した。天保9年12月16日、従五位下大和守に叙任する。後に備中守、駿河守、遠江守、備中守に改める。天保13年(1842年)10月21日、父の隠居により家督を継いで一宮藩主となる。
嘉永2年(1849年)1月28日に大番頭に任じられ、安政2年(1855年)2月に講武所総裁を兼任する。安政4年(1857年)閏5月1日に奏者番に任じられ、文久元年(1861年)7月15日に若年寄に任じられるなど、幕末期の要職を歴任した。和宮江戸幕府第14代将軍・徳川家茂のもとに降嫁する際には、江戸までの警護役を務めた。文久2年閏8月25日、若年寄を辞職する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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