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加納久慎[かのう ひさちか] 加納 久慎(かのう ひさちか、安永5年(1776年) - 文政4年8月13日(1821年9月9日))は、江戸時代の大名。伊勢国八田藩第4代藩主。一宮藩加納家4代。 3代藩主加納久周の嫡男。母は大河内松平信礼の娘。正室は植村家長の娘。子は加納久儔(長男)。幼名は英次郎。初名は久敬。官位は従五位下・大和守。寛政11年(1799年)、久慎は実弟である第5代岩槻藩主・大岡忠正の家臣・児玉南柯の私塾・遷喬館(のち岩槻藩校)創設のとき、自ら筆を執り、塾名を大書したという(遷喬館扁額)。 寛政元年(1789年)2月23日、将軍徳川家斉に拝謁する。寛政3年12月16日、従五位下備中守に叙任する。後に大和守に改める。文化5年(1808年)6月20日、父久周の隠居により、家督を相続する。文化6年11月18日、大番頭に就任する。文政4年(1821年)に死去。享年46。その跡は嫡男の久儔が継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「加納久慎」の詳細全文を読む
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