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加藤大晴 : ウィキペディア日本語版
舛ノ山大晴[ますのやま ともはる]

舛ノ山 大晴(ますのやま ともはる、 1990年11月1日 - )は、千葉県印旛郡栄町出身で千賀ノ浦部屋所属の現役大相撲力士。本名は加藤大晴(かとう ともはる)、愛称はとも。身長179cm、体重173kg、血液型O型星座さそり座。得意手は突き押しであり、他に掬い投げも得意とする〔 nikkansports.com 2013年11月11日20時16分〕。最高位は西前頭4枚目(2012年11月場所)。実弟は同部屋の床山・床千。
== 来歴 ==
フィリピンイロイロ市で生まれ、生後1年足らずで千葉県に転居した〔『大相撲ジャーナル』2014年4月号42頁から45頁〕。親が相撲観戦を趣味としていた影響で幼少期から力士を志し、小学2年生の頃に町の大会で優勝してからうれしくなって相撲を習いたいと思うようになった〔。栄町立安食台小学校3年から成田市相撲クラブで相撲を始めた。乳児期より母親から力士としての伸び代を期待されていたようであり「自分が飲んでいたミルクはアメリカ製の良いミルクであり、弟のは普通のミルクだった」という〔。小学校時代に遠藤聖大(舛ノ山は誕生日も遠藤より13日遅いだけである)と対戦したことがある〔。相撲の他に卓球も経験している〔『相撲』2012年5月号59頁〕。
柏市立富勢中学校に進学するも、そこには相撲部がなかったため、流山南高校などへ出稽古に行き、わんぱく相撲3位を初め、アマチュア大会で全国大会に出場するなど数多くの実績を残す。2年時に千賀ノ浦部屋を見学した際に千賀ノ浦からは「相撲に入ったらいっぱいご飯は食べられるし、勉強もしなくていいんだ。相撲だけ一生懸命やればいいのだから。休みもちゃんとあるし」と口説かれたという〔。ところが、中学3年時に両親が離婚し、一旦母親の母国であるフィリピンイロイロ市に転居せざるを得なくなり、結局地元の中学校を卒業するまでイロイロ市で過ごす運びとなった。2006年5月に帰国した後、親孝行をしたい一心で千賀ノ浦部屋に入門し、2006年7月場所において初土俵を踏む。稽古熱心で体格にも恵まれ、力強い押し相撲を武器としてその後は順調に番付を上げていった。
2008年5月場所に幕下に昇進してから勢いがやや停滞していたものの、自己最高位となる東幕下9枚目で迎えた2010年7月場所では4勝3敗と勝ち越し、同年9月場所でも東幕下3枚目で5勝2敗と勝ち越し、翌11月場所で新十両へ昇進した。高安鳴戸部屋、高安は早生まれで学年は1年上)と共に初の平成生まれの関取力士となった。
2011年1月場所では初日から5連勝と好調だったが、6日目の朝稽古中に右足関節外側靱帯損傷という重傷を負った。その日は強行出場して垣添に勝って6連勝としたものの、中日の大道戦で怪我を悪化させてしまい9日目から休場、その後11日目に再出場して玉乃島に勝って勝ち越しを果たした後、14日目から再び休場し、この場所を8勝5敗2休の成績で終えた。同年5月技量審査場所では9勝6敗と前場所に続いて勝ち越した。
東十両筆頭に番付を上げた7月場所では11勝4敗の好成績を挙げて優勝決定戦まで進出したものの、優勝決定戦では妙義龍に敗れて十両優勝はならなかった。翌9月場所では新入幕を果たして東前頭9枚目と自己最高位を大きく更新したものの、その場所の4日目に、栃乃若との取組で立合いからの突き合いの中でバランスを崩してしまい、古傷の右足とは反対側の左足に関節外側靱帯損傷という重傷をまたも負い、翌5日目からは休場した。
治療に専念するも十分な稽古ができず、翌11月場所では医師からは休場したほうがいいと進言されたものの強行出場し、12日目まで7勝5敗と勝ち越しを目前としながらも13日目から3連敗して7勝8敗と負け越した。2012年1月場所でも6勝9敗と負け越してしまったが、続く3月場所では10勝5敗と4場所ぶりとなる勝ち越しを果たした。翌5月場所でも9勝6敗と勝ち越しを決め、翌7月場所において再入幕を果たした。その7月場所では11勝4敗という好成績を挙げて初の敢闘賞を受賞した。
その後2012年9月場所を最後に5場所連続で負け越すなど不調続きであったが心臓病の疑いが晴れた(後述)影響からか、2013年9月場所は千秋楽で勝ち越しを収める久々の活躍を見せた。続く11月場所は初日から5連勝したものの、9日目に千代大龍戦で右膝を痛めたことが原因で11日目から休場となった〔幕内舛ノ山が11日目から休場 右膝を痛める MSN産経ニュース 2013.11.20 11:49 〕。2014年1月場所は12日目から給金相撲を4連敗して7勝8敗に終わるも翌3月場所は名目上据え置きとなる西前頭14枚目の地位を与えられた(関脇が1人増えているので、実質半枚降下)。東前頭13枚目で迎えた2014年5月場所は11日目に負け越しを確定させて最終的に4勝11敗の大敗を喫し、これにより丸2年守り続けた幕内の座に別れを告げることとなった。陥落した7月場所では、右膝脱臼など3箇所の怪我の影響で5勝10敗と大敗〔ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年9月号(秋場所展望号) 52頁、67頁〕。場所後の夏巡業を休場して手術に踏み切ったため9月場所は初日から休場することになったが、7日目から出場して1勝を挙げた。しかし、11日目から再休場したため、11月場所では幕下に陥落〔十両舛ノ山が秋場所再休場 右膝手術明けも精彩欠き MSN産経ニュース 2014年9月24日(2014年9月28日閲覧)〕。西幕下5枚目の地位で迎えた翌11月場所は7番相撲で勝ち越して4勝3敗の成績を収めて2015年1月場所では十両に返り咲くことが番付編成会議にて決定された〔18歳阿武咲が新十両 舛ノ山ら十両復帰 スポーツニッポン 2014年11月26日閲覧〕。しかしその後も不振で、7月場所から2場所連続で全休し11月場所では三段目に降格した。2016年3月場所は序二段の地位で土俵に復帰した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Masunoyama Tomoharu 」があります。



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