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加藤暁彦 : ウィキペディア日本語版
加藤暁彦[かとう あきひこ]

加藤 暁彦(かとう あきひこ、1982年10月6日〔12球団選手カラー百科名鑑 2001 日本スポーツ出版社 P126〕 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手内野手)。実兄はサッカー選手加藤慎也
==来歴・人物==
2年次にセンバツに出場する。玉野光南高校に敗れはしたが、自身は3番打者として4打数2安打と結果を残した。3年次には4番打者を務めていた。ちなみに3番打者は後藤伸也である。なお渡辺雅弘ともチームメイトである。
のドラフト会議にて、福岡ダイエーホークスから3位指名を受け入団。入団時はパワーあふれる打撃がセールスポイントであった。
プロ一年目である2001年シーズンは、ファームで経験を積んだ〔12球団選手カラー百科名鑑 2002 日本スポーツ出版社 P155〕。33試合に出場し、守備位置は投手と捕手以外の全ての内野守備をこなした。守備位置の内訳は一塁手が9試合、二塁手が11試合、三塁手が4試合、遊撃手が7試合であった。ただし、打撃成績は低調で打率.180、1本塁打、5打点という成績であった。
2002年シーズンも、引き続きファームでのみの出場にとどまるも〔12球団選手カラー百科名鑑 2003 日本スポーツ出版社 P170〕、ファームでの出場試合数は73試合にものぼった。一塁手として14試合、二塁手として26試合、三塁手として25試合、遊撃手として8試合に出場し、1年目のシーズン同様、投手と捕手以外全ての内野守備をこなした。しかし打撃成績は引き続き低調で打率.196、1本塁打、12打点という成績であった。同年唯一の本塁打は近藤一樹から放ったものである。
2003年シーズンはファームで55試合に出場し、出場機会に恵まれたものの、打撃成績は打率.217、0本塁打、6打点と前年までの課題である打力不足に悩まされた〔12球団選手カラー百科名鑑 2004 日本スポーツ出版社 P139〕。
2004年シーズンは5月に一軍に昇格し、5月15日の試合で藤田宗一から2点適時打を放つ〔12球団選手カラー百科名鑑 2005 日本スポーツ出版社 P37〕。2軍での成績は58試合に出場し、課題の打撃は打率.311、4本塁打、21打点と好調であった。
を最後に現役を引退し、ソフトバンクのスコアラーに転身した〔12球団選手カラー百科名鑑 2006 日本スポーツ出版社 P43〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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