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加藤道夫[かとう みちお]
加藤 道夫(かとう みちお、1918年(大正7年)10月17日 - 1953年(昭和28年)12月22日)は、日本の劇作家。カミュやミュッセの翻訳、ジャン・ジロドゥ研究や演劇評論などでも知られ、芥川比呂志や三島由紀夫、矢代静一らと共に、岸田国士が発足した文学立体化運動「雲の会」の同人としても活躍したが、最後は自宅書斎で縊死自殺した〔平敷尚子「加藤道夫」()〕〔「第九章 その『雲の会』」()〕。妻は女優の加藤治子。姪は作家の加藤幸子〔「第四章 その雌伏時代」()〕。 == 生涯 ==
=== 生い立ち === 1918年(大正7年)10月17日、福岡県遠賀郡戸畑町(現・北九州市戸畑区)に誕生。父は鉱床学者の加藤武夫。1921年(大正10年)、道夫が3歳の時に一家は東京府世田谷区若林に移住した。道夫は1925年(大正14年)に駒沢尋常高等小学校に入学し、卒業後1931年(昭和6年)に東京府立第五中学校(現・東京都立小石川中等教育学校)に入学した〔「加藤道夫自筆年譜 」(『新文学全集 加藤道夫集』河出書房、1953年6月)〕。同級生には原田義人、菊池章一がいた〔。 1937年(昭和12年)、慶応義塾大学予科に入学。担任教授は奥野信太郎であった〔。文学に興味を覚えた道夫は、同人誌などに小品を書いた。校内誌の『予科会誌』に小説「銀杏の家」を投稿し、阿部知二に推薦されたこともあり、この頃に石坂洋次郎と知り合った〔。 予科時代は演劇にも関心を持ち始め、しばしば英語劇の舞台に立ち、同期生の芥川比呂志、梅田晴夫らと知り合った〔。また、この時期、中村真一郎、福永武彦、白井健三郎らとも交友関係を結び、友人数名と共に北軽井沢にいる岸田国士を訪問した〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「加藤道夫」の詳細全文を読む
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