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加計隅屋鉄山(かけすみやてつざん)は、広島県安芸太田町にあった、砂鉄を産出する鉄山。 == 歴史 == 寛永年間(1625年 - 1645年)に地元の郷士・佐々木久盛と、その子の正信らによって開発された鉄山である。 中国地方は石見国の大森銀山や出雲国の砂鉄等、鉱物資源に恵まれていた。この加計の地も例外ではなく、佐々木久盛・正信親子は同地寺尾で銀鉱の採掘で資本を得て、加計本郷に町を作り、「隅屋」を屋号として、たたら吹きを中心とした製鉄業を始めた。これが加計隅屋鉄山の始まりである。 太田川上流に多くの精錬所を設け、広島や大阪に支店を出して、隅屋の製品の販売に努めた。江戸時代にはこの地域から鉄の生産量は全国の鉄の10%にも上り、隅屋は江戸期を通じて中国地方で最大手の製鉄商人となった。その隅屋の経済力は広島藩だけではなく、周辺の浜田藩や津和野藩にも重視され影響力を持つようになった。 嘉永6年(1853年)に製鉄業が藩営となり、ここに加計隅屋鉄山の歴史も終わりを告げるのである。約200年の間に隅屋が採掘した鉄山は25に上る。 現広島市市街地たる太田川デルタの形成は、上流で隅屋ら製鉄商人らが山を切り崩し、土砂を川に流したことが原因だと言われている。製鉄業は周辺の森林を伐採し、山を切り崩し、環境破壊をもたらした。その様子は後に宮崎駿監督のアニメ映画「もののけ姫」の題材にもなっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「加計隅屋鉄山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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