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加賀爪政尚[かがつめ まさなお] 加賀爪 政尚(かがつめ まさなお、永禄5年(1562年) - 文禄5年閏7月13日(1596年9月5日))は、安土桃山時代の武将。扇谷上杉氏の末裔で、武蔵国高坂館主。姓は加々爪とも表記する。父は加賀爪政豊。兄弟は加賀爪政増(甚平、新三郎)、服部保次室、小笠原吉次妻、本間政季室、加賀爪保定(養子。服部保次の子、母は政豊の娘)。通称は甚十郎、民部、隼人正。官位は従五位下、備後守(『断家譜』では備前守)。子に加賀爪忠澄など。 == 経歴 == 若くして徳川家康に仕え、天正12年(1584年)の長久手の戦いで敵を討ち取る武功を挙げた。その後豊臣政権における九州征伐、小田原征伐、奥州仕置に従軍した。近習として仕え、武蔵国比企郡・相模国高座郡で3,000石を領した。文禄5年(1596年)、慶長伏見地震で伏見城の城門の下敷きとなり没した。墓所は埼玉県東松山市の高済寺(高坂館跡)にある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「加賀爪政尚」の詳細全文を読む
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