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加賀谷朝蔵[かがや あさぞう]
加賀谷 朝蔵(かがや あさぞう、1886年(明治19年)3月15日 - 1981年(昭和56年)3月3日〔『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』318頁。〕)は、日本の内務・警察官僚、政治家。京都市長、秋田市長。 ==経歴== 秋田県出身。加賀谷長右衛門の二男として生まれる〔『人事興信録』第14版 上、カ2頁。〕。第二高等学校を卒業。1912年、東京帝国大学法科大学経済学科を卒業。1913年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し新潟県属となる〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』206頁。〕。 以後、新潟県西頸城郡長、同魚沼郡長、同中蒲原郡長、宮城県理事官、警察講習所教授、岩手県警察部長、皇宮警察長、静岡県書記官・内務部長、徳島県書記官・内務部長などを歴任〔。1935年に退官〔。 1936年、京都市助役に就任。1940年6月から1942年6月まで京都市長を務め、横大路ゴミ焼却場の操業開始、京阪電鉄三条・五条間市報償金問題の解決に尽力〔『京都市姓氏歴史人物大辞典』226頁。〕。 1942年9月、秋田市長に就任。戦時下の対応に尽力。1945年9月に市長を退任〔『日本の歴代市長』第1巻、288頁。〕。戦後、公職追放となる〔。その後、秋田県公安委員長を務めた〔。
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