翻訳と辞書
Words near each other
・ 加賀見山旧錦絵
・ 加賀證券
・ 加賀谷くん
・ 加賀谷はつみ
・ 加賀谷健
・ 加賀谷千保
・ 加賀谷圭
・ 加賀谷大
・ 加賀谷寛
・ 加賀谷早苗
加賀谷朝蔵
・ 加賀谷武
・ 加賀谷武夫
・ 加賀谷祐一
・ 加賀谷穣
・ 加賀谷純一
・ 加賀谷紗織
・ 加賀農業協同組合
・ 加賀邦男
・ 加賀郡


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

加賀谷朝蔵 : ウィキペディア日本語版
加賀谷朝蔵[かがや あさぞう]

加賀谷 朝蔵(かがや あさぞう、1886年明治19年)3月15日 - 1981年昭和56年)3月3日〔『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』318頁。〕)は、日本の内務警察官僚政治家京都市長秋田市長
==経歴==
秋田県出身。加賀谷長右衛門の二男として生まれる〔『人事興信録』第14版 上、カ2頁。〕。第二高等学校を卒業。1912年東京帝国大学法科大学経済学科を卒業。1913年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し新潟県属となる〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』206頁。〕。
以後、新潟県西頸城郡長、同魚沼郡長、同中蒲原郡長、宮城県理事官警察講習所教授岩手県警察部長、皇宮警察長、静岡県書記官・内務部長、徳島県書記官・内務部長などを歴任〔。1935年に退官〔。
1936年京都市助役に就任。1940年6月から1942年6月まで京都市長を務め、横大路ゴミ焼却場の操業開始、京阪電鉄三条五条間市報償金問題の解決に尽力〔『京都市姓氏歴史人物大辞典』226頁。〕。
1942年9月、秋田市長に就任。戦時下の対応に尽力。1945年9月に市長を退任〔『日本の歴代市長』第1巻、288頁。〕。戦後、公職追放となる〔。その後、秋田県公安委員長を務めた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「加賀谷朝蔵」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.