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労働社会主義インターナショナル(、 。ドイツ語から 社会主義労働者インターナショナル とされる場合もある)は、かつて存在した社会主義(社会民主主義)政党や労働党による国際組織。戦間期の1923年から1940年にかけて活動した。第一次世界大戦に際して崩壊した第二インターナショナルを引き継ぐ組織であり、現在まで続く社会主義インターナショナルの先駆となる組織でもある。 ==活動== 1923年、ツィンマーヴァルト運動を継承する国際社会党委員会(International Socialist Commission、いわゆる「ベルン・インターナショナル」)と、オーストリア・マルクス主義派を中心とする国際社会党行動同盟(International Working Union of Socialist Parties、いわゆる「ウィーン・インターナショナル」または「第二半インターナショナル」)が合流して結成された〔Vickers, Rhiannon. ''The Labour Party and the World ''. Manchester: Manchester University Press, 2004. p. 71〕〔Derrick, Jonathan. ''Africa's "Agitators": Militant Anti-Colonialism in Africa and the West, 1918–1939 ''. New York: Columbia University Press, 2008. p. 109〕。 主にヨーロッパにおいて、共産主義者の国際組織である第三インターナショナル(コミンテルン)と激しい勢力争いを繰り広げた〔Vickers, Rhiannon. ''The Labour Party and the World ''. Manchester: Manchester University Press, 2004. p. 72〕が、中央集権的な組織機構は持っていなかった〔Buchanan, Tom. ''The Spanish Civil War and the British Labour Movement ''. Cambridge : Cambridge University Press, 1991. p. 21〕。一般にはロシア革命以降、共産主義への移行を拒否した社会民主主義者が第二インターナショナルを再建した組織とみられており〔Smith, Jackie, Charles Chatfield, and Ron Pagnucco. ''Transnational Social Movements and Global Politics: Solidarity Beyond the State ''. Syracuse studies on peace and conflict resolution. Syracuse, N.Y.: Syracuse University Press, 1997. p. 35〕、インターの内部ではドイツ社会民主党の影響力が非常に強かった〔Jupp, James. ''The Radical Left in Britain, 1931–1941 ''. London: Cass, 1982. p. 13〕。 ナチスの台頭を前に1933年、ドイツにおいて共産党との共闘を呼びかけたが失敗し、アドルフ・ヒトラーの権力掌握を許す。その後、部分的な統一戦線の試みがなされることもあったが、大きな成果にはなっていない。一般に南ヨーロッパ諸国では統一戦線が形成される傾向にあり、イギリスやスカンディナヴィア諸国では拒絶される傾向にあった。後の人民戦線においても、大きな成果を上げたのはフランスとスペインであった。またリーフ共和国などの例外もあったが〔Derrick, Jonathan. ''Africa's "Agitators": Militant Anti-Colonialism in Africa and the West, 1918–1939 ''. New York: Columbia University Press, 2008. p. 156, 180〕、ヨーロッパの政党がほとんどを占めていたこともあり、植民地問題については大方冷淡だった。ソヴィエト連邦の領域から亡命した政党が多かったことも、コミンテルンとの共闘を阻害する一因だった。 第二次世界大戦に際して解散したが、その活動は戦後、1951年に結成される社会主義インターナショナルにつながった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「労働社会主義インターナショナル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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