|
効用(こうよう、)とは、ミクロ経済学の消費理論で用いられる用語で、人が財(商品や有料のサービス)を消費することから得られる満足の度合い、あるいは使用価値を表す。対語は非効用(不満足)。見込まれている効用は期待効用。 ==効用価値説と労働価値説== 近代経済学においては、物の価値を効用ではかる効用価値説を採用する。この説によると、消費者は需要曲線という予算制約下で効用が最大となるよう購買する。つまり、利潤の最大化を目指す企業部門に対し、家計部門は効用の最大化を目指す。 一方、古典派経済学およびマルクス経済学においては、物の価値を労働ではかる労働価値説を採用している。この立場では効用を主観的なものと考える。この場合、異なる財で効用を比較したり定量化することもできない。効用は労働のように客観的に定量化できるものではなくなる。諸商品に共通する価値の基準たりえないとして、効用価値説を批判する。 この点、使用価値に存在意義のある消費財でなければ効用を考えることが難しいのは常識で分かる。 ミクロ経済学が経済体の主観に着目するのは当然だが、消費者の主観に基づくという自覚は効用の数的処理に議論を醸した。 効用を測定する方法としては、基数的効用(Cardinal Utility)と序数的効用(Ordinal Utility)とがある。前者が効用の大きさを数値(あるいは金額)として測定可能であるとするのに対して、後者は効用を数値として表すことは出来ないが順序付けは可能であるとする点で異なり、両者の違いは、これは効用の可測性の問題として、効用の概念の発生当初から議論の対象であった。なお、基数的効用が分かればその順番付けをすることは可能なので、序数的効用に基づいて導出された理論は、基数的効用に基づいた場合でも成り立つ(序数的効用の方が緩い仮定である)。 当初は基数的効用として考えるのが主流であった。効用は測定可能で、各個人の効用を合計すれば社会の効用が計算され、また、異なる個人間で効用を比較したり足し合わせることも可能であると考えられた。 しかし、効用の尺度として客観的なものを見出すことができなかったため、現在では多くの経済学者が、「ある選択肢が、他の選択肢より好ましいかどうか」という個人の選好関係を基に、より好ましい財の組み合わせはより大きな効用をもつ、という意味での序数的効用によって効用を考えている。序数的効用は主観的なもので、異なる個人間で比較すること〔たとえば、ある人にとってリンゴ一個を貰えることによる満足度の増加と、別の人にとってリンゴ一個を貰えることによる満足度の増加を比較して、どちらの満足度の増え分が大きいかを判断すること〕も、単純に各個人の効用を足し合わせて社会全体の効用を測定することもできないとされる。尺度水準を参照のこと。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「効用」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Utility 」があります。 スポンサード リンク
|