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勘定奉行(かんじょうぶぎょう)は、江戸幕府の職名の一つ。勘定方の最高責任者で財政や幕府直轄領の支配などを司る。寺社奉行・町奉行とともに三奉行の一つで、共に評定所を構成した。元禄年間までは勘定頭(かんじょうがしら)とも称した。評定所においては、関八州内江戸府外の訴訟について担当した。定員は約4人で役高は3000石。老中の下にあり、郡代・代官・蔵奉行などを支配した。1698年以降は、うち1人が大目付とともに道中奉行を兼務した。1721年には財政・民政を主に扱う勝手方勘定奉行と訴訟関連を扱う公事方勘定奉行とに分かれた。勝手方と公事方の職務は全く別のものであり、事実上名称のみが共通している状態であった。 ==勘定奉行就任者== ===17世紀=== *大久保長安(1603年 - 1613年) *松平正綱(1609年 - 1648年) *大河内久綱 *伊奈忠次 *伊奈忠治 *杉浦正友(1632年 - 1634年) *酒井忠吉(1632年 - 1635年) *伊丹康勝(1632年 - 1659年) *曾根吉次(1642年 - 1661年) *村越吉勝(1651年 - 1659年) *岡田善政(1660年 - 1670年) *伊丹勝長(1662年) *妻木重直(1662年 - 1670年) *松浦信貞(1666年 - 1673年) *杉浦正照(1668年 - 1680年) *徳山重政(1670年 - 1681年) *甲斐庄正親(1672年 - 1680年) *岡部吉昌(1675年 - 1678年) *大岡清重(1680年 - 1687年) *高木守蔵(1680年 - 1682年) *彦坂重治(1680年 - 1687年) *中山信久(1682年 - 1685年) *松平忠冬(1685年) *仙石政勝(1685年 - 1687年) *小菅正武(1687年 - 1688年) *佐野正周(1687年 - 1688年) *松平重良(1688年 - 1698年) *戸田直武(1688年 - 1689年) *稲生正照(1689年 - 1699年) *井戸良弘(1694年 - 1702年) *荻原重秀(1696年 - 1712年) *久貝正方(1699年 - 1705年) *戸川安広(1699年 - 1708年) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「勘定奉行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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