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勘解由小路資生 勘解由小路 資生(かでのこうじ すけより〔『平成新修旧華族家系大成』上巻、428頁。〕 / すけなり〔『明治維新人名辞典』278頁。〕、1827年3月29日(文政10年3月3日)- 1893年(明治26年)1月25日〔)は、幕末の公家・歌人、明治期の官僚・政治家。貴族院子爵議員。 ==経歴== 山城国京都で、裏松恭光の四男として生まれ、勘解由小路光宙の養子となる〔〔。天保15年1月(1844年)中務権少輔に任じられ、以後、中務少輔、弁官を歴任〔。文久2年12月(1863年)国事御用掛に就任し、国事に活動した〔。 慶応4年2月20日(1868年3月13日)明治天皇の親征大坂行幸に供奉を命ぜられた〔『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』216-219頁。〕。以後、左中弁、弁官事、即位御用掛、山稜総管、侍従、宮内省六等出仕、宮中祇候などを歴任〔。 1881年4月28日、元老院御用掛に就任し、以後、建白課勤務、兼編纂局、兼宮内省御用掛、明宮出仕などを務め、1884年7月8日、子爵を叙爵。1886年1月21日、元老院御用掛を非職となり、1889年1月20日、非職満期で退官した〔。 1890年7月、貴族院子爵議員に選出され、死去するまで在任した〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』40頁。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「勘解由小路資生」の詳細全文を読む
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