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勝尾寺(かつおうじ)は、大阪府箕面市にある高野山真言宗の寺院。山号は応頂山。西国三十三所の第二十三番札所。開山は開成(かいじょう)、本尊は十一面千手観世音菩薩である。寺号は「かつおじ」「かちおじ」などとも読まれる〔20世紀末までに出版された辞典・事典類では、「かつおじ」または「かちおじ」を見出し語とするものが多い。 * 見出し語を「かつおじ」とするもの - 『国史大辞典』3巻(吉川弘文館、1983)、 * 見出し語を「かちおじ」とするもの - 圭室文雄編『日本名刹大事典』(1992、雄山閣) * 見出し語を「かつおじ」とし、俗称・別称として「かちおじ」を併記するもの - 『日本大百科全書』5巻(小学館、1985)、『角川日本地名大辞典 大阪府』(角川書店、1983)、『日本歴史地名大系 大阪府の地名』(平凡社、1986) 〕。 == 歴史 == 伝承によれば、勝尾寺の草創経緯は次のとおりである。神亀4年(727年)、 藤原致房の子の善仲、善算の兄弟はこの地に草庵を築き、仏道修行に励んでいた。それから約40年後の天平神護元年(765年)、光仁天皇の皇子(桓武天皇の異母兄)である開成が2人に師事して仏門に入った。宝亀8年(777年)、開成は念願であった大般若経600巻の書写を終え、勝尾寺の前身である弥勒寺を創建した。そして、数年後の宝亀11年(780年)、妙観が本尊の十一面千手観世音菩薩立像を制作したと伝えられる。 開成の僧としての事績については正史に記載がなく不明な点も多いが、北摂地域の山間部には当寺以外にも高槻市の神峯山寺など、開成の開基または中興とされる寺院が点在している。 勝尾寺は平安時代以降、山岳信仰の拠点として栄え、天皇など貴人の参詣も多かった。元慶4年(880年)、当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたという。『日本三代実録』は、元慶4年、清和天皇死去についての記事で、同天皇が「勝尾山」に参詣したことを述べており、これが勝尾寺の文献上の初見である。 元暦元年(1184年)、治承・寿永の乱(源平合戦)の一ノ谷の戦いのあおりで焼失。文治4年(1188年)、源頼朝の命により、熊谷直実・梶原景時によって再建された。 承元4年(1210年)には晩年の、讃岐国流罪から戻った法然が当寺に滞在している。 2013年、レッドブル・ホーリーライド(マウンテンバイクのダウンヒルレース)が開催された〔石段を駆け下りるダウンヒルレース「レッドブル・ホーリーライド」 京都で11月29日開催 〕〔4クロスの決勝を井手川直樹が制圧 神社の石段を駆け下りた「レッドブル・ホーリーライド」 〕〔今年も開催!石清水八幡宮の境内をマウンテンバイクが疾走! 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「勝尾寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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