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勝山スケーティングクラブ(かつやまスケーティングクラブ)は、かつて宮城県仙台市青葉区上杉に存在したスケートリンクである。仙台市都心部の北側にあり、上杉六丁目交差点(愛宕上杉通と北六番丁の交差点)の南西の街区内に位置する。 1978年(昭和53年)12月9日開場し、2009年(平成21年)4月30日に閉鎖された。同年中に建物は解体され、跡地は西友勝山公園店〔2002年(平成14年)6月開店、2012年(平成24年)6月10日閉店。24時間営業。勝山ボウリングクラブ1階の一部(売り場面積990m2)を占める核テナントだった。〕等の平面駐車場として利用された。 == 概要 == 当地は、1688年(元禄元年)創業の勝山酒造〔勝山企業株式会社勝山酒造部が、2005年(平成17年)に当地から泉ヶ岳南東麓の仙台市泉区福岡に移転し、2010年(平成22年)7月に「仙台伊澤家 勝山酒造株式会社」となった。〕()が1857年(安政4年)、仙台藩より「御酒御用酒屋」に任命された際に与えられた土地であり、同社の酒蔵などがあった〔勝山企業株式会社勝山酒造部 (宮城の酒蔵公認ページ「地酒を親しむ会 宮城」)〕〔会社概要 (勝山企業株式会社)〕〔会社概要 (仙台伊澤家 勝山酒造株式会社)〕。当区画の西側部分に1972年(昭和47年)に勝山ボウリングクラブ()が開業〔1972年(昭和47年)12月22日に開場(1階と2階を合わせて88レーン)。同じ建物内にはボウリング場の他に、勝山ホールや仙台精養軒があった。2002年(平成14年)、1階に西友勝山公園店が入居したため、2階のみ60レーンでの営業になった。2010年(平成22年)10月に、スケート場跡地を含む約1万7000m2を住友不動産に売却。2012年(平成24年)3月までボウリング場は営業継続し、その後は住友不動産が跡地開発をする予定だった。しかし、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で被災したため同日から営業が休止され、同年4月10日に閉鎖された。〕、北東部分に1975年(昭和50年)に東日本放送()が開局〔1974年(昭和49年)10月30日に設立され、1975年(昭和50年)10月1日に当地で開局。1991年(平成3年)9月26日に本社を当地から青葉区双葉ヶ丘に移転した。〕し、中央南部分に1978年(昭和53年)に当アイススケート場()が開場した。 1階は駐車場、2階にリンクや付属施設、かのおスポーツ勝山スケーティングクラブ店(スポーツ用品店)があった。全天候型で、年間を通してスケートを行うことが可能であった。 利用者数は、開場間もない1980年(昭和55年)に約18万人/年でピークとなったが、2000年代後半は4-5万人/年で推移するほど落ち込んだ〔【画像】東北の老舗リンク、静かに幕=仙台市 (livedoorスポーツ)〕〔東北の老舗リンク、静かに幕=荒川さんも少女時代滑走 (J SPORTS 2009年4月15日)〕。 開場当初から、当リンク所属のアイスホッケーチームとフィギュアスケートのクラブが発足した。リレハンメルオリンピック男子フィギュアスケート代表の及川史弘が所属〔チームプロフィール (勝山ジュニアアイスホッケークラブ)〕し、長野オリンピック女子フィギュアスケート代表の荒井万里絵〔30年の歴史「残念」 仙台・勝山リンクが4月閉鎖 (河北新報 2009年1月16日)〕やトリノオリンピック女子フィギュアスケート金メダリストの荒川静香が子供の頃に通い、日本人初のNHL選手である福藤豊が高校生時代に通っていたことが知られており、トリノオリンピック後には、中野友加里ら著名なスケーターが何人も滑りに来ていた〔。その他、仙台放送『スポルたん!LIVE』の二代目アシスタントで、女子大生プロアイススケーターとしても活躍した新海史子〔2011年(平成23年)4月に新潟放送のアナウンサーとなった。〕も当クラブに所属していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「勝山スケーティングクラブ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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