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勝田四方蔵[しょうだ よもぞう] 勝田 四方蔵(しょうだ よもぞう、1845年(弘化2年11月) - 1918年(大正7年)7月9日〔『官報』第1788号「彙報 - 官吏薨去及死去」1918年7月18日。〕)は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。栄典は正三位勲一等功三級〔『官報』第7188号、大正7年7月18日。 〕。最終階級は陸軍中将。貴族院議員、男爵。 == 経歴 == 長州藩士族出身。維新後は陸軍に奉職し、明治5年3月15日(1872年4月22日)、陸軍中尉に任官。西南戦争では第3旅団参謀をつとめた。 1884年(明治17年)3月、工兵第1方面提理に就任。続いて1887年(明治20年)6月、工兵会議議長となり、工兵科の成長に携わった。 1894年(明治27年)11月、第2軍工兵部長に発令され、日清戦争に出征。少将進級後の1895年(明治28年)4月、下関要塞司令官に就任し、以後、東京湾要塞司令官、二度目の下関要塞司令官を歴任した。中将昇進後の1901年(明治34年)に休職。 1904年(明治37年)2月、留守第12師団長として復帰し日露戦争を迎えた。1907年(明治40年)3月予備役に編入され〔『官報』第7100号、明治40年3月4日。 〕、同年9月21日、男爵を授爵し華族となり、貴族院議員を1911年(明治44年)7月から死去するまで勤めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「勝田四方蔵」の詳細全文を読む
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