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勝間田清一 : ウィキペディア日本語版
勝間田清一[かつまた せいいち]
勝間田 清一(かつまた せいいち、1908年2月11日 - 1989年12月14日)は、日本の政治家日本社会党委員長、政審会長、国対委員長、衆議院副議長を歴任した。正三位勲一等旭日大綬章
==来歴・人物==

=== 生い立ち ===
静岡県御殿場市出身。勝間田氏は遠江国榛原郡勝間田庄(現在の牧之原市)の国人(領主)だったが、1476年今川義忠に反旗を翻して敗れ、一族は四散した。その末裔は細々と農業を行い暮らしをたてており、清一が生まれたときも実家は養蚕などを営む農家だった。御殿場実業学校(現・静岡県立御殿場高等学校)を経て、宇都宮高等農林学校(現・宇都宮大学)に進学し、さらに京都帝国大学(現・京都大学)へと進んだ。宇都宮時代に、マルクス主義に触れ、社会主義的思想を持ったという。
大学卒業後、財団法人協調会に就職し、やがて内閣調査局に移り、そこで和田博雄と知り合った。内閣調査局はやがて企画院へと発展し、そこの調査官となった。1941年大政翼賛会組織部九州班長に就任するが、企画院事件に連座して、検挙される。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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