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勧修寺家(かじゅうじけ/かんじゅじけ)は、藤原北家勧修寺流の支流の公家(公家貴族)である。家格は名家。藤原高藤の子孫の系統を「勧修寺流」と言うが、嫡流は勧修寺家ではなく、甘露寺家である。ただし、戦国時代から江戸時代初期に勧修寺家から2代の国母を輩出した事から、当時は勧修寺家を嫡流とみなす説もあり、それに基づいて書かれた文献もある(『諸家伝』)〔橋本政宣 編『公家事典』吉川弘文館、2010年、P467〕。 南北朝時代の坊城定資の子・経顕(南北朝時代)を勧修寺家の祖とする。江戸時代の石高は726石。家学は儒学。 明治維新後は華族となり顕允が伯爵に叙せられた。 ==歴代当主== # 勧修寺経顕 (1298 - 1373) # 勧修寺経方 (1335 - ) # 勧修寺経重 (1355 - 1389) # 勧修寺経豊 ( - 1411) # 勧修寺経興 (1396 - 1437) # 勧修寺経直 ( - 1449) # 勧修寺教秀 (1426 - 1496) # 勧修寺経茂 (1430 - 1500) # 勧修寺政顕 (1452 - 1522) # 勧修寺経熈 (1432 - 1504) # 勧修寺尚顕 (1478 - 1559) # 勧修寺尹豊 (1503 - 1594) # 勧修寺晴秀 (1523 - 1577) # 勧修寺晴豊 (1544 - 1602) # 勧修寺光豊 (1575 - 1612) # 勧修寺教豊 (1610 - 1615) # 勧修寺経広 (1606 - 1688) # 勧修寺経慶 (1644 - 1709) # 勧修寺尹隆 (1676 - 1722) # 勧修寺高顕 (1695 - 1737) # 勧修寺顕道 (1717 - 1756) # 勧修寺敬明 (1740 - 1758) # 勧修寺経逸 (1748 - 1805) # 勧修寺良顕 (1765 - 1795) # 勧修寺経則 (1788 - 1836) # 勧修寺顕彰 (1814 - 1861) # 勧修寺経理 (1828 - 1871) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「勧修寺家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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