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勧修寺 尹豊(かじゅうじ ただとよ、文亀3年(1503年) - 文禄3年2月1日(1594年3月22日))は、安土桃山時代の公家(公卿)。 堂上家である勧修寺家(名家、藤原北家高藤流甘露寺支流)の第12代当主。 == 経歴 == 権大納言であった第11代当主・勧修寺尚顕の子。室町幕府第10代将軍・足利義尹(のちの義稙)から偏諱を受け、尹豊と名乗る(「豊」は第4代当主・経豊の1字)。母は石清水八幡宮検校・澄清の娘。室は右京亮・伊勢貞遠の娘。実子に権大納言・勧修寺晴秀、山城守・結城忠正の室、右近将監・畠山家継(西谷内畠山)の室などがいる。 武家伝奏を務める。 天文元年(1532年)8月8日、参議。 元亀3年(1572年)2月3日、出家し、法名は、紹可。 極位極官は、正二位(一位記返上)・内大臣。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「勧修寺尹豊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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