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勧修寺教秀 : ウィキペディア日本語版
勧修寺教秀[かんしゅうじきょうしゅう]

勧修寺 教秀(かじゅうじ のりひで)は、室町時代中期から戦国時代公卿勧修寺家第7代当主。武家伝奏を務めた
== 生涯 ==
第5代当主・経興の子として生まれる。経興の跡は、叔父(経興の弟)の経直が第6代当主となっていたが、のちにこの養子となり、やがて第7代当主となった。
勧修寺家歴代当主の中では初めて足利将軍家からの偏諱の授与を受け、第6代将軍足利義教から1字を賜って教秀と名乗った。
享徳2年(1453年)に参議文明3年(1471年)、権大納言に任ぜられる。
明応5年(1496年)、准大臣従一位に任ぜられた。同年7月11日に71歳で薨去。死後左大臣贈位された。教秀の次は養父・経直の実子である従兄弟の経茂が第8代当主となった。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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