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背後の一突き[はいごのひとつき]
背後の一突き(はいごのひとつき、)とは、第一次世界大戦敗北後のドイツ国内において、主に右翼政党がヴァイマル共和政や左翼政党、ユダヤ人等を批判する際に好んで使った主張である。「背後からの一突き」、「匕首伝説(あいくちでんせつ)」、「背後の匕首」とも呼ばれる。 == 概要 == 1919年、国民議会でドイツの敗北の原因を調査する調査委員会が開かれた。この委員会で喚問された元参謀総長パウル・フォン・ヒンデンブルク元帥の発言がこの伝説の元となった。ヒンデンブルクの証言によると、第一次世界大戦におけるドイツの敗因は、軍事的作戦による失敗ではなく、革命後に政権を主導した社会民主党や、革命を扇動していた共産主義者らに求められるべきであるとする。 もっとも、ドイツの歴史学者であるフリードリヒ・マイネッケはその回想録の中でドイツ革命が始まる前の1918年10月に右派政党であるドイツ祖国党系の新聞において、ドイツの苦戦の原因を国内の弱気な人々と敗北主義者(暗に社会民主党や中央党左派の人々からなる「自由と祖国のための国民同盟」など、戦争遂行の方針を批判した人々を指す)のせいだとする批判論が展開されていたと述べ、ヒンデンブルクの証言以前にルーツを求める考えもある〔佐藤真一『ヨーロッパ史学史 -探究の軌跡-』(知泉書館、2009年)P258-259〕。 この主張は右派や保守層に広く受け入れられ、休戦協定に調印したマティアス・エルツベルガーが暗殺されたことや、ドイツ国大統領フリードリヒ・エーベルトが裁判所において「国家反逆罪」を犯したと認定されたこと、そして共和政への不信感の遠因となった。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)においても公的な第一次世界大戦観として採用され、アドルフ・ヒトラーが政権を獲得するのにも一役買うことになる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「背後の一突き」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Stab-in-the-back myth 」があります。
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