|
北アイルランド(きたアイルランド、、〔An Roinn Dlí agus Cirt agus Comhionannais : Tuaisceart Éireann . Justice.ie. Retrieved on 2013-07-23.〕、アルスター・スコットランド語: )は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)のアイルランド島北東部に位置する構成要素の一つである。北アイルランドについては、イギリスのカントリー、プロヴィンス(州)、地域など様々な表現がされている。 アイルランド島北東に位置するアルスター地方9州の内の6州からなるためアルスター6州とも称されている。アイルランド島でアイルランド共和国と国境を接している。面積は1万4,139km、首都は東岸に位置するベルファストである。 == 歴史 == 1920年に成立したアイルランド統治法によってアイルランドは南北に分割され、それぞれに自治権が付与された。その後に発生したアイルランド独立戦争の講和条約である英愛条約に基づいて、南部26州によりアイルランド自由国が建国され、グレートブリテン及びアイルランド連合王国より分離した際は北アイルランドも自由国の管轄内に含まれていた。しかしアイルランド自由国で内戦が始まったため、英愛条約の条項に基づいて北アイルランド議会は自由国からの離脱を表明して連合王国にとどまることになった。 19世紀にアイルランドがグレートブリテンおよびアイルランド連合王国へと併合されて以来、アイルランドにおいてはユニオニスト(イギリスとの連合維持を主張)とナショナリスト(イギリスからの独立を主張)の対立が続いていた。アイルランド全土がイギリスに支配されていた時代から、北アイルランド地域はグレートブリテン島からの植民者が多数を占めており、ユニオニストの勢力が強かった。また、必ずしもアイルランド人即ちナショナリストではなく、経済的に考えると英国に帰属した方が有利であると考える者も多かった。このようなことが考慮されて、北アイルランドはイギリス統治下に残留することになった。 1960年代後半になると、アメリカ合衆国の公民権運動の影響を受けて、社会的に差別を受けていたカトリックと、プロテスタント主体の北アイルランド政府との対立が深刻化した。IRA暫定派を始めとするナショナリストとユニオニスト双方の私兵組織と英陸軍、北アイルランド警察が相争う抗争が続き、血の日曜日事件など数多くの武力弾圧やテロによって数千名にものぼる死者が発生するなど、この北アイルランド問題によって社会と経済の混乱は極めて劣悪なものになった。 1990年代になると和平への道が模索されはじめ、1998年になるとユニオニストおよびナショナリスト政党、私兵組織とイギリス、アイルランド両政府によってベルファスト合意が形成され、これに基づいて全政党が参加する北アイルランド議会が設置された。この功績によって、穏健派政党の党首であるデヴィッド・トリンブルとジョン・ヒュームにノーベル平和賞が授与されている。過激派によるテロが収まったことを受け、シティグループや富士通など、外国企業による新たな直接投資が相次ぎ、経済成長を遂げている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北アイルランド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|