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北アイルランド問題(きたアイルランドもんだい)とは、北アイルランドにおける紛争問題の総称である。長年におけるイギリスの最大の政治問題と言われている。なお、アイルランドの統一を支持するものは、「北アイルランド」との呼称を嫌い、「6県 (6 Counties)」とよぶ場合が多い。統一支持者によればアイルランド全土は32県であり、そのうち6県が「北アイルランド」とされている。イギリスやアイルランドではこの紛争を指して、「厄介事」(, )という歪曲的な表現が用いられる。 == 概要 == 19世紀以降、アイルランドの民族運動が高揚するにつれ、 イギリスではアイルランド人に自治権を付与しようとする意見があらわれてきた。しかしアイルランド独立運動が高まる中、17世紀にアイルランドに移住したイングランド系・スコットランド系入植者の子孫であるプロテスタント系住民は、カトリック系住民が多数をしめる新国家で少数派となることを恐れ、独立に反対する傾向が強かった。この傾向は島32州のうちプロテスタント住民が多数派を占める北部のアルスター地方にある6州でもっとも強かった。 1916年、ジェームズ・コノリー(James Connolly)が指導する復活祭蜂起が起き、アイルランド全島が単一の独立共和国と宣言された。だがこれは英国軍に鎮圧された。 1920年、イギリス政府はアイルランド統治法を制定し、北部6州はアイルランド議会で定める法の適用を受けないことを定め、アイルランドを北アイルランドと南アイルランドの2つに分割し、独自の議会を認め、それぞれの自治権を認めた。 1922年12月6日、英愛条約に基づいてアイルランド全島がアイルランド自由国としてイギリスの自治領となった。しかしその翌日、北アイルランド政府はアイルランド自由国 (後にアイルランド共和国として完全独立) からの離脱を決定し、イギリス (連合王国) への再編入を希望することをイギリス政府に公式に通告した。これにより、北アイルランドは独自の議会と政府を持つ、イギリス連合王国の構成国の1つとなった。 独立戦争を戦ったアイルランド共和軍(IRA)の一部はアイルランド国防軍に加わったが、一部は英愛条約に反対し、非正規軍としてアイルランド内戦で国防軍と戦った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北アイルランド問題」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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