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北アフリカ戦線[きたあふりかせんせん]
北アフリカ戦線(きたアフリカせんせん)は、第二次世界大戦において1940年9月のイタリア軍によるエジプト侵攻から、1943年5月のにより、枢軸国軍の壊滅・ヨーロッパ本土撤退までを指す。エジプトからモロッコまで、北アフリカ北岸で行われた。 == 概要 == 第二次世界大戦の中でも特異な戦場であった〔『北アフリカ戦線』 (2009)、p.73〕。砂漠地域での戦いであり、前線においては、その地形を利用した大胆な機動戦が行われた。その進撃距離は長いが地域は細長く、占領した地域が広域であろうとも土地そのものの価値は低く、地上戦だが補給は孤島に援軍を送るように困難であり兵站能力が極めて重要であった。また、全軍への補給に際しての、地中海の制海権、少ない港湾の能力、マルタ島の価値、制空権が地上戦に大きな影響を与えた。 同時に両軍の戦力や補給量の問題により、戦線が短時間で大きく移動した。このとき移動に活用された主なルートはその多くがかつてのサハラ交易路である。 アフリカで苦戦するイタリア軍への援軍として送り込まれたドイツアフリカ軍団の指揮官であるエルヴィン・ロンメル大将は、少数の派遣軍という劣勢な状態ながら地理・気候を利用した巧みな用兵で連合国軍と戦い「砂漠の狐」と呼ばれ〔山崎 (2009)、pp.335-337〕、1942年6月22日北アフリカ戦線での働きが認められてドイツ国防軍で当時最年少の元帥となった〔山崎 (2009)、p.285〕。
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