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北京機関[ぺきんきかん] 北京機関(ぺきんきかん)は1950年、書記長の徳田球一や野坂参三ら日本共産党の一部幹部が、正規の手続きによらずに中央委員会を解体し、非合法活動に移行するなか、中国に渡航してつくった機関。ソ連や中国の資金援助を受けて、武装蜂起式の日本革命を指導した。日本には徳田らが指名した臨時中央指導部が残った。現在、日本共産党は、正規の方針に基づく機関でなく、党と無関係であるとしている〔不破哲三「日本共産党の歴史と綱領を語る」2000年7月20日、日本共産党創立78周年記念講演 〕。 == 発端 == 当時日本を占領統治していた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、1950年にレッドパージを開始して日本共産党に対する締め付けを強化していた。徳田ら幹部が公職追放処分や団体等規正令違反による逮捕状が出され、幹部の多くは地下活動に移った。伊藤律の回想によると、この状況を受けて毛沢東が直接「徳田を日本から救い出せ」と指示したことが、北京に移るきっかけの一つであったという〔『生還者の証言』p226〕。徳田は当初渡航に強く反対したが、8月上旬頃に極秘に開かれた政治局会議で中国への渡航が決まった〔『生還者の証言』p224、226。この政治局会議は元海軍大将吉田善吾邸の一室でおこなわれたという。〕。8月15日、徳田が伝書使として中国に派遣した宮島義勇が帰国し、「日本共産党の指導者を迎え入れる用意がある」という中国共産党の意向を徳田に伝えた〔『生還者の証言』p223 - 227〕。10月に徳田は大阪湾から船で密かに出国し、北京に渡った。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北京機関」の詳細全文を読む
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