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北京通順競馬場(ぺきんつうじゅんけいばじょう)は、中華人民共和国北京市通州区の東北部にある競馬場。但し、2005年度を最後に、暫く開催されていない模様。 == 概要 == 一周2280メートル、2005メートルの芝コースと、1850メートルのダートコースを擁するが、2000メートル以上のレースは少なかった。但し一時期、芝5000メートルを越える距離のレースを行っていた事がある。フルゲートは14頭であり、馬券がマークカードに発券される、馬名が英語表記と漢字表記の2通り存在する点などを見ると、香港のシステムを参考にしていたと思われる。また香港の競馬雑誌にも、中国国内の競馬運営に協力しているという記事が掲載された事がある。 調教師は欧米や香港などから招請し、騎手は地元出身者を中心に、一部海外出身者も在籍していた。 2001年8月から基本的に毎週土日に競馬が行われており、施行時期はおおむね3月から11月。交通手段は電車八通線通州北苑駅から出ていた無料バス(最終便は午後1時半)か、タクシーなど。なお、この無料バスの存在はバス停で確認されただけである。 元々は空軍の施設で、広東の大富豪が私財を投じて競馬場、厩舎、牧場などを建設したと言われている。馬券も発売もされていたが、中国では建前上賭博が違法であるため、まず現金をバウチャーに換えてから馬券を手に入れるという方式を採用していた。スポーツ中継専門チャンネルであるCCTV5でも一応中継されていたが、馬券に関する話は一切されず、純粋なスポーツとして放送されていた。また、大っぴらな宣伝が出来ないので、市民のほとんどは競馬が行われている事すら知らず、競馬場の周辺を除いては、競馬場の看板などの広告を見ることもなかった。 開催が始まった同年、北海牧場がメイショウドトウの父・ビッグストーンなどを連れ北京龍頭牧場を開設、本格的に現地でのサラブレッド生産に乗り出したが、開催そのものが安定的に行われない状況、その後開催自粛に追い込まれたことなどから経営が悪化、北海グループ倒産の一因となった。 余談だが、笠松競馬所属であった安藤光彰は以前雑誌のインタビューで、「笠松が潰れたら北京に乗りに行くか」と発言していた。当時北京ダービーの1着賞金は約3000万円であり、安藤がそう漏らしていたのも無理は無い状況であった。 なお、2005年11月の開催を最後に開催自粛を余儀なくされており、公式サイトにもその旨掲示されている。賭博の問題性を重視した中央政府による閉鎖指示があったとも言われているが、公式サイトには詳細な説明は無く、現在は更新も停止している状況である。元々、北京オリンピックの馬術競技開催に向けて、厩舎などの環境を整備するのも一つの目的であったといわれているが、結局開催地は香港の沙田競馬場が指定された。今後も、中央政府の政策が変化しない限り、復活は難しいと思われる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北京通順競馬場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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