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北勝鬨 準人(きたかちどき はやと、1966年1月1日 - )は北海道帯広市大空町出身の元大相撲力士。伊勢ノ海部屋所属。本名は久我 準人(くが はやと)。身長183cm、体重148kg。得意手は右四つ、寄り切り。最高位は西前頭3枚目(1994年3月場所)。好物は卵焼き、趣味はサッカー観戦。現・年寄12代伊勢ノ海。 == 来歴 == 帯広市立大空中学校ではサッカー部に所属しゴールキーパーを務めた。卒業後北海道帯広柏葉高等学校(定時制)に入学するも受験の失敗を理由に我慢できず1ヶ月で中退し伊勢ノ海部屋に入門した。1981年5月場所に初土俵を踏んだ。同期生には元関脇若翔洋で現在は格闘家の馬場口洋一(元WAKASHOYO)がいる。幕下時代から有望力士として期待され、1987年1月場所で十両に昇進。昭和40年代生まれ初の関取となる。1989年1月場所で新入幕、平成初の新入幕力士の一人となる。バランスの取れた体格から将来の大器と嘱望されたが、稽古不足もあってか幕内と十両を往復する生活が続いた。1991年9月場所、6度目の入幕でようやく幕内に定着する。 左上手を浅く取っての型は良かったが少し勝ち味が遅く、素質は充分あったが三役昇進は果たせなかった。結局、幕内での二桁勝利は一度もなく、三賞も受賞できずに、1998年5月場所を最後に十両に陥落。十両の土俵でも健闘していたが、2000年9月場所前に現役を引退。年寄・勝ノ浦を師匠から取得して襲名し、伊勢ノ海部屋付きの親方として後進の指導に当たる。なお、北勝鬨の引退で100年以上続いた道産子関取が途絶えた。 四股名に「北勝」とつくことから、現在でも八角部屋出身と間違われることが多い。四股名の由来は競走馬の“キタノカチドキ”から来ている。同馬のように強くなりたかったからだという。 2011年9月場所千秋楽の9月25日、師匠の11代伊勢ノ海が65歳で停年(定年)退職を迎えることを受けて同日付で12代伊勢ノ海へ年寄名跡を変更すると共に、同部屋を継承することとなった〔勝ノ浦親方 師匠定年の伊勢ノ海部屋継承へ スポーツニッポン 2011年9月15日閲覧〕。ちなみに11代とは出身地が同じ北海道(11代は帯広市の隣の音更町出身)というつながりがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北勝鬨準人」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kitakachidoki Hayato 」があります。 スポンサード リンク
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