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北原 憲彦(きたはら のりひこ、1954年12月11日 - )は、日本の元バスケットボール選手、指導者である。長野県伊那市出身。モントリオールオリンピック男子バスケットボール日本代表。江戸川大学、社会学部 経営社会学科 教授で、同校の男女バスケットボール部の部長を務めている。 == 来歴 == ===選手時代=== 明大中野高校でバスケットボールに本格的に取り組み、第1回春の選抜(現・ウィンターカップ)優勝メンバーとなる。また、当時大会記録となる1試合58得点を叩き出した(2008年に藤井祐眞(藤枝明誠)が更新)。 明治大学進学後も、関東リーグ戦、インカレなどのタイトルを総なめにし、個人タイトルも多数手にする。4年次には主将を務め、モントリオール五輪にも出場。現bjリーグコミッショナーの河内敏光は同期に当たる。 卒業後の1977年、日本鋼管に入社。南カリフォルニア大学に留学。 1978年に帰国しバスケットボール部に所属。日本リーグ1部優勝に貢献し、最優秀選手賞とベスト5に選ばれる。 1980年のオールジャパン優勝、1981年のアジアクラブ選手権大会準優勝も経験。 全日本でも活躍を続け、1981年からは主将を務め、1982年アジア競技大会で銅メダルに導く。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北原憲彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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