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北太樹 明義(きたたいき あけよし、1982年10月5日 - )は、山響部屋(入門時は北の湖部屋)所属の現役大相撲力士。本名は讃岐 明義(さぬき あけよし)。身長184cm、体重151kg、血液型はB型、星座は天秤座。得意手は左四つ、寄り、うっちゃり。最高位は東前頭2枚目(2013年5月場所)。締め込みの色は緑。 == 来歴 == 東京都町田市出身。町田市立原小学校(現・本町田小学校)、町田市立町田第三中学校卒業〔大相撲一月場所で十両優勝した北太樹関が市長を表敬訪問しました(スポまち☆彡第593号) 町田市〕。 小学校1年から4年まで水泳、3年から5年までサッカー(ポジションはGK、通っていたクラブの先輩に北澤豪がいる)、3年から6年まで柔道を経験。相撲の経験は全く無かったが、小学校5年時にはわんぱく相撲全国大会に出場した事がある。 小学校4年生の時に父の知人に紹介されて横浜巡業で北の湖と会い、以後も何度か北の湖が家を訪ねて来た。高校に進学するより普通でない道を行こうと考え、入門を決意。1998年3月場所に初土俵を踏む。 相撲教習所時代は同期生曰く「誰も関取になるとは予想しなかった。」ようであり〔『大相撲ジャーナル』2014年2月号64頁〕序二段と三段目を往復する場所が続き苦労したが、2002年11月場所に幕下に昇進。三段目と幕下を往復する場所もあったが、2004年頃から幕下に定着した。2006年5月場所では最高位の東幕下5枚目まで番付を上げて関取目前までいったものの、2勝5敗と負け越してしまった。2007年5月場所では自己最高位を更新して東幕下3枚目まで上昇。そこで5勝2敗と勝ち越し、5月30日の番付編成会議で7月場所での十両昇進を決め、晴れて関取となった。同じ7月場所で新十両になったのは境澤、保志光。北の湖部屋から関取が誕生するのは1998年の北桜以来9年ぶりのことであった(白露山は二十山部屋所属時に既に関取となっており、後に師匠の死により移籍してきた)。 なお、幕下にいる間、2007年3月場所に四股名を父の勧めで北大樹から北太樹にかえている。四股名の意味は「地に根を張り、上に向かって大きく育つように」との思いを込めて父が命名した。十両に昇進したら「大」を「太」に変えようと父は考えていたが、なかなか昇進できなかったので昇進前に変えた。 新十両の場所から8勝7敗、9勝6敗と2場所連続で勝ち越した。その後、十両10枚目で迎えた2008年3月場所では肋骨を折りながら11勝を挙げた。5月場所では十両筆頭まで番付を上げて新入幕を目指したが、6勝9敗と負け越した。十両4枚目で再び新入幕を目指した7月場所では左膝半月板を損傷しながらも11勝を挙げ、翌9月場所で玉鷲と共に新入幕を果たした。しかし、新入幕から2場所連続で負け越したため2009年1月場所で十両に落ち、1年間は十両での土俵が続いた。東十両5枚目だった同年11月場所で10勝5敗とし、徳瀬川・光龍との優勝決定巴戦で連勝して十両優勝すると、翌2010年1月場所で帰り入幕となり、13日目の土佐豊との取組に勝って勝ち越し。それ以降は幕内の地位に定着している。続く3月場所で自身初となる幕内での二桁勝利(10勝5敗)とすると、5月場所では東前頭4枚目まで躍進。上位との取組も組まれたため7勝8敗と負け越したが、この場所では大関・琴光喜を破っている。その後は、2011年5月技量審査場所で大関の琴欧洲から白星を挙げている。2011年9月場所では10日目に勝ち越しを決め、終盤3連敗したものの場所を10勝5敗の好成績で終えた。その後しばらく幕内中位で過ごした後、2013年3月場所には西前頭6枚目の地位で10勝5敗の好成績を果たしたことで新三役も期待できる状況に立ったがこの場所の三役が西小結の安美錦以外全員勝ち越したことで昇進枠が思うように空かず、結果的に翌5月場所の新三役の座はこの場所を東前頭7枚目の地位での11勝4敗で終えた隠岐の海に譲られる格好となった。 2013年6月には元フリーリポーターの女性と入籍し、同年8月31日に都内で披露宴を開催した。〔北太樹 元リポーターの和美夫人と挙式 nikkansports.com 2013年9月1日8時49分 紙面から〕その後はあまり調子が上がらず幕内中位での土俵が常となり、東前頭12枚目の地位で迎えた2014年11月場所は、股関節の状態が良くなかったためか、3勝12敗の大敗。これにより、再入幕だった2010年1月場所から5年間(29場所)連続で在位した幕内の座を離れることとなった。しかし十両に下がった2015年1月場所は東十両3枚目で13勝2敗の十両優勝と格の違いを見せて幕内復帰を濃厚にした。2015年3月場所はわかさ生活から5本の懸賞が懸かるなど8本の指定懸賞が確定、地元力士の大関豪栄道(5本)をも上回り、場所も9勝6敗の勝ち越しに終わった〔初日懸賞121本 幕内復帰の北太樹に8本 日刊スポーツ 2015年3月7日7時12分〕。同年9月29日には第一子となる長男が誕生。出産に立ち会った北太樹は「初めての感覚ですが、感動しました。今までも頑張ろうと思ってやってきましたが、子供の顔をみたら、そういう思いがより強くなりました」と喜びを口にした。〔北太樹がパパに 長男誕生「感動しました」 日刊スポーツ 2015年9月30日8時37分 紙面から〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北太樹明義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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