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北小路俊昌[きたこうじ としまさ] 北小路 俊昌(きたこうじ としまさ、1836年5月29日(天保7年4月15日) - 1884年(明治17年)11月22日〔『平成新修旧華族家系大成』上巻、495頁。〕)は、幕末の公家、明治期の官僚。本姓は大江氏。 従五位。 ==経歴== 北小路俊文の子として生まれ、本家・北小路俊常の5男として育てられる〔。叔父・北小路俊威の養子となる〔。養父の死去により1843年3月29日(天保14年2月29日)家督を継承〔。孝明天皇の皇子祐宮の蔵人となり、中務大丞に任じられる。祐宮が明治天皇として即位すると堂上に列し、昇殿を許される。 1868年伊那県知事に就任するが、贋二分金問題、伊那県商社事件などにより1870年に辞任。1878年には宮内省維新前諸儀式取調を命じられる 1884年7月8日に男爵に叙されたが、同年に死去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北小路俊昌」の詳細全文を読む
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