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北川桃雄(きたがわ ももお、1899年3月3日-1969年5月19日)は、日本の美術史家。 ==来歴== 東京出身。京都帝国大学経済学部卒業、京都市立第一工業学校(現洛陽工業高等学校)教師。1937年8月13日、北川の参加する文芸雑誌『リアル』がコミンテルンと通じているとの嫌疑で、のちに禅思想研究家、生長の家政治連合会長となる、工業学校の同僚、田中忠雄らとともに治安維持法違反で検挙。志賀直哉の勧めで東京帝国大学美学美術史学科卒業。在学中1940年鈴木大拙の英文「禅と日本文化」を邦訳、42歳で卒業。共立女子大学教授。54年『室生寺』(土門拳写真)で毎日出版文化賞受賞。はじめ日本の古寺について多く書き、晩年は中国紀行に基づき敦煌などを書いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北川桃雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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