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北彩都あさひかわ(きたさいとあさひかわ)は北海道旭川市の旭川駅周辺地区で進められている再開発プロジェクトの名称で、1998年(平成10年)7月に着工した〔“北彩都着工式 「旭川発展へ大きな弾み」 事業本格化へ膨らむ期待”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1998年7月30日)〕。またそれが転じて再開発が行われている地区全体の愛称ともなっている。 再開発エリアは旭川市宮下通・宮前通・南6 - 7条通を中心とする広い範囲に及んでいる。 当地区では、鉄道高架事業、土地区画整理事業等のほか、河川空間整備事業、都市公園整備事業など数多くの都市基盤整備事業が進められている。 これに伴い、旭川駅構内にあったJR北海道の旭川運転所が2003年(平成15年)9月1日から北旭川駅構内に移転している〔“新しい旭川運転所お披露目 防音、有害物除去にも配慮 JR北海道”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2003年8月26日)〕。 2014年(平成26年)7月5日に北彩都あさひかわ完成記念式典が行われた。 ==鉄道高架事業== ===鉄道高架=== JR北海道の旭川駅を中心に高架化が施行されている。(限度額立体交差事業)旭川駅は函館本線、宗谷本線、富良野線の各鉄道路線の起点であり、石北本線の列車運用上の起点でもある。そのため、これらの路線を含めて高架化する。北海道施行による事業で、高架化延長は約3.5km。 高架部分に設けられる新駅舎(旭川駅構内の旧5番ホームと旧6番ホームの間に建設)については2010年(平成22年)10月10日に開業した〔“旭川新駅舎開業祝う 出発式 園児2人一日駅長”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2010年10月11日)〕。下記のように一部路線は既に嵩上げ済みであったため、「北彩都あさひかわ」事業による鉄道高架化(延長約3.5km)については、(地上駅から高架駅に生まれ変わる)新しい旭川駅から既存の嵩上げ済区間にすりつける形となった。 *函館本線は、1968年(昭和43年)に石狩川鉄橋から旭川駅までの区間が、(その当時地上駅であった旭川駅にすりつける形で)嵩上げされていた。(主に擁壁構造) ※動力近代化計画に基づき、複線化・電化をほぼ同時期に実施。 *宗谷本線は、1973年(昭和48年)に牛朱別川鉄橋から旭川駅までの区間が、(函館本線嵩上げと同様にその当時地上駅であった旭川駅にすりつける形で)嵩上げされていた。(主に高架橋構造) ※連続立体交差による事業。複線化をほぼ同時期に実施。旭川四条駅は、この時に高架駅となる。 高架開業後に、旧駅舎や旧線路の取壊し・撤去が行われた。駅前広場の再整備も後述のとおり行われている〔高架の旭川駅 10月10日開業 - 北海道新聞・2010年3月11日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北彩都あさひかわ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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