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中正暦[ちゅうせいれき] 中正暦(ちゅうせいれき)とは、明治時代に工藤茂三郎によって提案された改暦案。北斗中正暦、北斗中正百年暦とも呼ばれる。 == 歴史 == 工藤は徳島県出身の人物で、1897年(明治30年)に中正暦を発案し、翌1898年(明治31年)より帝国議会に3回にわたって請願した。1900年(明治33年)にパリ万国博覧会に中正暦を出品した。1906年(明治39年)に上京し、有志を集めて中正暦の宣伝普及に努めた。1910年(明治43年)3月、中正暦が第26回帝国議会を通過したが、まず交付に先立って東京帝国大学の理学博士、寺尾寿に意見を仰ぐことにした。3月24日、『東京朝日新聞』に「天文台長理学博士の中正批判評あり衆議院を誹毀侮辱しありたり」という記事が掲載されている。寺尾の反対があったためか(後述)、その後うやむやになってしまい、1910年(明治44年)5月15日に徳島県市町村長聯合会が満場一致で文部大臣に建議書を提出したほか、大正時代に徳島県で中正暦採用運動があったのを最後に世間から姿を消した。 工藤は以前村長をしており、4〜5万円の財産があったが、暦法研究のため大半を使い果たし、上京後は質素な生活をしていたと当時の新聞は報じている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中正暦」の詳細全文を読む
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