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北条 俊時(ほうじょう としとき) は、鎌倉時代末期の武士。北条国時の嫡男。 元徳元年11月11日(1329年12月2日)、評定衆に任じられ、同3年1月23日(1331年3月2日)、四番引付頭人に就任した。(『鎌倉年代記』) 元弘3年(1333年)5月22日、鎌倉幕府の滅亡に伴い死去。 『太平記』巻十「塩田父子自害事」によると、父・国時の自害を促すため、自分の腹を掻き切り自害して果てた。 == 参考文献 == * 『鎌倉年代記』(増補 続史料大成) * 『金沢文庫古文書』(神奈川県立金沢文庫刊) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北条俊時」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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