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北条 公義(ほうじょう きみよし、仁治2年(1241年) - 没年不詳 )は、鎌倉時代前期の北条氏の一族。鎌倉幕府第3代執権・北条泰時の3男。公喜とも。無量寿大夫。子に泰茂、泰瑜。 すでに長兄の時氏や次兄の時実らが死去していたため、泰時は時氏の長男・北条経時を嗣子に迎えていた。さらに公義自身も泰時が59歳という高齢で生まれた息子で、翌年に父が死去したときはわずか2歳だったために後継者候補には挙げられず、僧侶として余生を送ったといわれる。 没年など詳しい業績は不明である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北条公義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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