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北条時実[ほうじょう ときざね]
北条 時実(ほうじょう ときざね)は、鎌倉時代前期の北条氏の一族。鎌倉幕府第3代執権・北条泰時の次男。母は継室の安保実員の娘。妻は、後に謀反を企てたとして流罪に処された北条光時の妹。 == 生涯 == 第4代将軍・九条頼経の側近として仕えるが、嘉禄3年(1227年)6月18日、六堂供養を翌日に控えて御家人達が大勢鎌倉へ集う喧噪の中、家人である高橋次郎によって殺害された〔 高橋慎一朗 著『人物叢書‐北条時頼』吉川弘文館、2013年、p.8〕〔『北条泰時』〈人物叢書〉74頁。〕。享年16〔〔『北条泰時』〈人物叢書〉74頁。〕。原因は不明だが、他にも仲間の御家人3人も殺害されている。高橋次郎は直ちに捕らえられ、即日腰越で斬刑に処せられた〔。当日夜には時実の乳母父である尾藤景綱が出家している。 原因としては仕事上のトラブルなどが考えられている〔。ただ、高橋家はこれで断絶したわけではなく、その系統は北条重時の家臣となって存続しているため、時実殺害には情状酌量すべき事情があったとも推測されている〔 高橋慎一朗 著『人物叢書‐北条時頼』吉川弘文館、2013年、p.9〕。 翌日の六堂供養はこの事件によって延期された。 この3年後の同日に奇しくも異母兄の時氏も死去し〔 高橋慎一朗 著『人物叢書‐北条時頼』吉川弘文館、2013年、p.12〕〔『北条泰時』〈人物叢書〉75頁。〕、後継の男子を失った泰時は、孫の経時を次期執権として養育する事になる〔 高橋慎一朗 著『人物叢書‐北条時頼』吉川弘文館、2013年、p.14〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北条時実」の詳細全文を読む
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