翻訳と辞書
Words near each other
・ 北条時子
・ 北条時宗
・ 北条時宗 (NHK大河ドラマ)
・ 北条時定
・ 北条時定 (北条時政の甥)
・ 北条時定 (時房流)
・ 北条時定 (時氏流)
・ 北条時実
・ 北条時家
・ 北条時幸
北条時広
・ 北条時房
・ 北条時政
・ 北条時敦
・ 北条時敬
・ 北条時有
・ 北条時朝
・ 北条時村
・ 北条時村 (政村流)
・ 北条時村 (時房流)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

北条時広 : ウィキペディア日本語版
北条時広[ほうじょう ときひろ]

北条 時広(ほうじょう ときひろ)は鎌倉時代中期の北条氏の一門。父は北条時房の次男・北条時村
父時村は承久2年(1220年)に弟(時広の叔父)の資時と共に出家し、嘉禄元年(1225年)12月に没した。時広は祖父時房の養子となり、引付衆評定衆、四番引付頭人の要職を務めた。建治元年(1275年6月25日、54歳で没。
男子はなく、時村流は時広の甥で兄時隆の子宗房が継いでいる。
和歌が得意で将軍の歌席寄人や歌仙結番に選ばれている。北条家一門随一の風流文化人でもあった。
== 経歴 ==

*1245年9月 式部少丞就任。
*1247年1月 従五位下就任。
*1247年3月 武蔵守就任。
*1258年1月 越前守就任。
*1260年4月 越前守辞任。
*1261年11月 将軍歌仙結番就任。
*1265年4月 従五位上就任。
*1265年6月 評定衆就任。
*1268年4月 四番引付頭人就任。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北条時広」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.